昭和41年09月27日 朝の御理解



 昨日現場のほうで、水道工事ですかね、なさっておられる、二人連れで集金に見えられました。もうお支払いするようにしてあったんです。それで久保山さんに支払いの事をお願いしてありますから、それで私にしゃっち、あのご挨拶したいと言われるから、言われるもんですからお会いしました。何時もあの現場に見えておられる人なんです。お酒が大変好きだという事を聞いておりましたから、お神酒一本あげましてね。
 まぁ色々話しておる中に知ってらしたでしょうか、私は大体あのパーマ屋でございますと言われた。で私は奥さんがパーマ屋だと思ったら、ご自分があのパーマをしなさるお方だったんです。男のパーマ屋さん。はぁ見かけによらんもんですね。もう色は黒々として、ひげはこう我武者羅ひげを生やしていなさいますもん。あぁたんごたる人がそうやってから、そうやってから頭扱うちもらうなら、気色の悪かろち言うちから、もう笑うたこっでございますけれども。いいえそれがもうとても良かったそうですね。
 そしてもう先生、あの金の貯まる時はですね、もうそりゃもう条件に及ばんごと、終戦直後ですから、もう料金な料金で貰う裏からは、米は米を持ち込んできて、お願いしますち言う。それであの何か頭にパーマするには熱かそうですね。それでもう熱かとでも言いなさるな、そげなもう辛抱しなさいち言うてからあの、私がおごりちらしてきたら、あの、まぁ言うて上げましたち言うてから言いよりなさいましたもん。東京辺りには男のパーマ屋さんが出来たと言う話を聞いたけれど。
 男のパーマ屋さんちゃ初めてだち言うてから聞いて。ところが先生もう本当にもう瞬く間に、百五十万ばっかり貯まりましたち金が。ところがまたそん代わりあぁた、もう瞬く間に無くなりましたと言うてですね。大体、田主丸の方ですね。しかももう田主丸の飲み屋なんかはもう、一軒でも知らんとがなかぐらいに、その知っとりますち言うてから話よりなさいましたが。お互い誰でもその、もう本当に瞬く間に金が貯まったら、さぞ良かろうごとあるですけれどもね。
 またそれ、を願いとしとる者が多かろうとこう思います。ところが、その瞬く間に貯まった金と言うのは、やはり瞬く間に、無くならんに致しましても、それは本当のことじゃないです。その瞬く間に貯まった金がです。必ずそれは、結果が良いとは思われません。ね。よしそれをなら子供に、無くならんで譲り、孫に譲りしてもです。言うならば、それは、まぁ、ばい菌の付いた食べ物を、子供に残しておるようなものじゃなかろうかと、私は思うです。
 話を聞いてなるほどと、こう思うけれどもやっぱりその、もうやっぱり人が十年かかるところを五年でばたばたと儲け出したりと、ね。ただそれも良いのですけれども、儲け出すなら儲け出させて頂けれる。本当にそれはおかげを頂くという段になりましたらですね。それはあっという間ですよ。これは金銭だけのことではありません。これはお徳を受けて、ね。力を受けておかげを頂く段になりましたら、もう瞬く間です。どんなに借金があってもかまいません。
 もう瞬く間に借金払いが出来ます、おかげさえ頂けば。ね。ですから、先ず力をこう受けてからの借金払いが出来るのであり、金が貯まるのでなからなければいけないと私は思うのです。ここんとこだけはとにかく、だから早う儲け出したいと思うなら、それだけ積極的なやはり信心させて貰うて、ね。信心という徳という力という裏づけのある、おかげになってこなければならないと私は思うです。ね。
 皆さんもあのご承知のように、先日でしたかね。あの久富繁雄さんところの、長男の国男さんが、佐賀にお野菜を出しに行っとりましてから、追突されましてね。衝突されたんですね。そしてあの自動車はもうめちゃめちゃになされた訳です。勿論向こうが悪いのですから、まぁ一切病院代から、それから車から全部まぁ、弁償されることになったんです。勿論なかなかあぁいう、金銭のことでございますからね。あのこちらは余計貰いたい。向こうは出来るだけ少のうやりたいと言うのが人情です。
 まぁこちらは信心があられますから、そげん決してそのこちらも災難ですから、余分なものを貰おうとは思わんと。けれどもあの実際に損害になった、それだけを認めてもろうて、頂けば良いからと言うことだったけれども、向こうは向こうで、またそのあちらの会社の方がね、何べんも見えましてね。色々交渉折衝がございました。ところが本人の国男さんがご神夢を頂いた。あの車に牛を積んでですね。牛を乗せてその牛を売りに行きよるというお夢であった。
 そして売りに行ったところが、それが十六万円で売れて帰ってきたお夢を頂いた。でその事を直ぐお届けになりがありましたから、こらきっとそら十六万円で、まぁ話が付くとじゃろと、こう言いよりました。ところが向こうでは十三万とか、十四万とかという風に、まぁ言うておられました。それでまぁ私の方はもうどうこうとは言わん。ね、ですからお宅にもご迷惑のかからんように。
 私の方もかと言うてその、損にならんようにと言うて、その色んな、慰謝料は別に取るとか何とかと言う様な事は、まぁ言わんと言う様な事でございましたが。昨日あの叔父さんの勇さんから、お届けがございましたが。結局何やかにやでですね。話が決まったのが、結局こちらが手取りの十六万円、その損害賠償としてまぁ入ることになった。ね。私は、今日皆さんに分かって頂きたいという事はね。お互いが本当にその金だけじゃありませんけれども、金でも物でも、ね。
 ま特に金といや、金が一番分かり良いから、あのまぁ瞬く間に金でも儲かりたい、貯めたいと、こう思うのですけれども。それにはそれだけの引き当てと言うものがあってから、貯まったものでなかなないけんという事です。ね。働いたからそのお金を儲かったというだけではなくてです。ね。それにはずっとその天地の信用と言うかね、その裏づけがあるお金で無からなければいけないと。ね。それには先ず私共がです。天地に対するところの、借金払いと言うものが出来て、ね。
 そして頂いたお金で無からなければいけないと。ね。天地に対するところの借金払いも出来ずに、貯まった金ですから瞬く間に、また無くなるのであり。また天地に対するところの借金払いも出来ずに、貯めた金ですからそれが、よし瞬く間に無くならんでも、子供が孫がそれで怪我するような。いわゆるそれでいわゆる、ばい菌の付いたお金を使うて、かえって難儀をすると言う様な結果にしかならんのですよ。ね。そこんところを一つ分からにゃいかんと思うですね。
 例えば久富さんところの、あぁ言う一つの事故があったと。やっぱりこれはめぐりのお取り払いでしょうね。牛を売りにいったということは。牛とは家のめぐりと仰ってる。その、家のめぐりのお取払いを一応頂いて、ね。頂いたその代償として十六万円と言う金が入ってきた。ね。そういう意味で私はその裏づけ。そんならみんな一遍災難に合わなければいけないかと言う意味ではありません、ね。めぐりのお取り払いの頂けれる信心を、一生懸命させて頂くことなんです。ね。
 ですから教祖の神様はやれいた、今みかげをと言う心になれよと。日々の中にですやはり難儀を感じたり、困ったりと言う様な事がございます。損をするような事もあります。それはいよいよやれいたやなのですから、ね。そのやれいたやそれでも今みかげを、今めぐりのお取り払いを頂いておるんだという気持ちで、お礼を申し上げる信心が出来るということ。ね。めぐりのお取り払いを頂いてからの、私はおかげ。いわゆるめぐりのお取り払い借金払いが出来ての、次に残るもんでなからなければ。
 百万円の借金を持って、百万円貯めたって、それは同じことでしょうもん。ね。それをその百万円の借金の方は、払おうとせずにただ貯まったつだけを、あぁ儲かったと思うたと言うてから、しとりますからまた瞬く間に無くなる様なものであり。またはそれには払わんから、それにはばい菌が付いたようなもので、それを残すところに子孫も、それによってかえって災いを被ると言った様な事にまでなりかねないです。どうぞ一つおかげを頂いて、もう本当にですね。おかげ頂かにゃいけませんですね。
 昨日はですね。吉井の熊谷さんのところから、あの昨日の朝の御祈念の後に、東京におられる娘さんから、あの椛目の先生は、大変お茶がお好きだそうだから、お茶のお供えをしてくれと言うて、あちらから宇治の良いお茶の、大きな缶をお供えになりました。それでその、お供えさせて頂いたんですけれどもね。ところがですね。私共の母が、昨日の朝、お夢頂いておるのに、久留米の前の光橋先生ですね。
 光橋先生がそれは他の御霊さん達も、おられたらしいですけども、それぞれにですそれぞれにその、まぁ私に何かを持って来て下さる。久留米の光橋先生は、お茶をと言うわけだったそうです。ね。ですからなるほど、形の上においては、その熊谷さんの娘さんのところからのお供えだけれども、その向こうの働きのあっておるのは、やはり光橋先生の御霊の働きと言った様なのが、あってるんだなと言った様な事を感じた。
 それは本当にその御霊様の、久留米のお祭りの時もそうでございましたが。いよいよお祭りを仕えるために、お風呂に入ってお風呂からあがった途端に頭が痛くなった。ですからもうほんの五分か十分かでありましたけれども、ちょっと横になってる間にふらっとこう、眠ったらしいですね。ところが眠ってる間にですね、私はちょうどあの電話のあるあの、二階の人達がおります部屋に、休んでおるようなんです。
 ところがあそこに電話がありますが、電話がじゃんじゃんかかって来よりますもん。で私は寝ながら誰か早うかかりゃ良かところへとこう思いよります。で誰かがかかった。そしてあの私に言う事がですね。久留米の光橋先生から、電話がかかっとりますよち言うですもん。あぁそうかあの親先生に、久留米の光橋先生から電話せすよと言うもんですから、私は起きてから受話器をとりました。そしたら何とその亡くなった光橋先生の声なんです。そしてあの只今現場からでございます。ね。
 今から直ぐそちらの方へ参ります。もうその時にはもう、久留米そちらという事は、久留米と言う感じです。直ぐそちらの方へ帰って参りますからと、と言う電話がかかってきたり、受けたりしてから目が覚めた。ほんのちょっとの間である。まそん時は私はその事を、ま神様の御霊さまのご都合と言うことについてお話したんですけれども、そんなことでもそうですね。もう本当に例えば、昨日お茶のお供え頂いて、その前に、母が光橋先生の御霊さんの、そのお知らせを頂いた。ね。
 久留米の霊祭の時も只今申しますように、ちょうど秋永先生が現場のほうに見えておりまして、とにかくその私が向こうに見に行かなければ分からないことだった。内殿の真ん中に大きなあの丸い柱が立っております。その丸い柱の位置を、移動しなければいけないことに気付かれた。とにかく先生に見て貰わなければと言うて、呼びに来なさったのと、久留米から、石井さんが、自動車で迎えに見えたのと一緒であった。
 ですから私はもうまぁちょっと、秋永先生が迎えにここに来て頂くのが遅かったら、私はもう久留米に行っとったでしょう。なるほどな光橋先生から、電話のかかってきたが、只今現場からです。いわゆる御霊様の働きがですたい。もう本当に一番大事なところが、もうそのままになるようなことであったら、大変な事だったんですけれども。御霊さんの例えばあぁして、お互いが一生懸命、御用させてもらいよりますけれども、御霊様は御霊様なりに、一生懸命の御用が現場なら現場の上にもあっておるという事。
 ははぁ今日の秋永先生を通してから、光橋先生の働きがあっておったんだなぁという事を、私は感じたんです。ね。今日私が申しますのは、そういう一つの徳というか、力というものをです、頂いて参りましてからの財産であり、もので無からなければです。ね。それこそ、昨日のパーマ屋さんじゃありませんけれども、ね。そらもうあっという間に、あの終戦直後に百五十万と言うたら、相当大きな金ですよね。百五十万儲かりましたけれども、その代わりあっという間に使うてしまいましたとこう言われる。ね。
 裏づけのない金だから。よしその金が裏づけがあったに致しましても。いや裏づけじゃない残りましてもです。無くならないに致しましても、それはちょうどばい菌の付いたようなお金ですから、子供に孫にそれがよし伝わっても、良い結果は生まれないということ。それでかえって災いの元になるという事。ね。私共が例えばほんなら、百万円なら百万円のお金を、儲かるだけではありません。その力です。それには久富さんがお夢の中に頂いてありますように、ね。
 牛を売りに行ったと。ところがその牛は十六万円じゃった。ね。それはあぁいう一つの災難に合われた。合われた事がその牛を売りに行ったことでしょうね。牛は家のめぐりとおっしゃるから、めぐりのお取り払い頂いた訳なんです。ところがその賠償は十六万円であったと。結局話で片が付いたのは十六万円であった。だからこれはもうめぐりのお取り払いを頂いて頂いたお金。ね。そういう私は裏づけのあるもの。ね。
 私共が例えばほんならその、御霊様にならせて頂いてからでもです。ね。光橋先生がいわゆる、今の光橋先生にお夢の中に、お知らせをやっておるのもです、ね。まぁ色々その物語っておるですね。御霊様が家内の光橋先生に対して、自分がこうやってある意味でおかげを落としたのはです、ね。親先生との意見が食い違って、おかげを落としたんだと。今初めてその事が分かったと言うて、その光橋先生が言われたと。お夢の中で。そういうことによってです。
 例えば御霊様は御霊様なりに、力を受けられて、例えばほんなら、御造営なら御造営の場ででも、御用が出来るようになり、私なら私に対してでも、そうした働きを自分の受け持ちの場と言うかね。先生は生前からもう、お茶を大変たしなまれる人でしたから、もう私にお茶の味を教えたのは光橋先生でしたですよね。ですからその後の、こうして私がお茶に不自由をしない様なおかげも、やっぱりそう言う様な働きのなかにあることであろうと、こう思うのですけれども、ね。
 例えばその頂いておる形のそれに、そういう力という、徳という裏づけが無かったら、私は駄目だという事を痛感致しました。ね。みんながです、もうあっという間にそれこそ、そのお金は儲かりたいとか、ね、残したいと思うのですけれども、それは間違った考えです。だからその残したいという考えがあるならです。ね。それだけいわば積極的な信心をさせてもらい、積極的にめぐりのお取り払いも、借金払いも先ず出来て、借金払いが出来てその後に、ね。天地に対するですよ。
 天地に対するところの借金払いが、いわば人が十年かかるところは、五年ででも一つ支払いを済まさせていただいてから、残るお金でなからなければ、本当のことの用を足さない。ね。力と言う徳と言う裏づけを頂いてからの、いうなら財産でなからなければ、値打ちはないということですね。今日は皆さんに聞いて頂いた訳でございますけれども、ね。そこんところをですね。みなさんがですね。ほんなこてそんなもんじゃろうかと言う思いなら、皆さんがまぁだおかげば受けられん時です。ね。
 はぁそんなもんだろうと、心に本当に合点が出来れるようにならなければ、おかげになりません。昨夜の御理解にはですね。もうとにかくあの素直という事を、神様が求められるというのは素直な心にならなければ、おかげは受けられんと。ね。私が赤を白と言うても、はぁなるほど先生が白といいなさったら、段々白にそれが見えてくるようにならなければ、おかげはないです。そんなら私はです何の実証もない事を、こうだと言うておるのじゃない。また人に私のお話は受け売りでもない。
 只今も申しますように、ね。例えば御神夢なら御神夢、神様から、お知らせを頂いたなら頂いたという、その事実を基にしてから、お話をするのですからです。皆さんが、ね。それに抵抗を感じながら、お話を聞きなさるようなことでは、おかげは受けられん。そこで結局素直な心にならせて頂くことを、先ず願わにゃいけんですね。どうでも一つそのことについてでした。夕べある方が参って参りましてからね。その一日二日、その家の中でごたごたがあってから、気分が悪かった。
 そしてそのまぁ妹から言われた。まぁ姉ちゃんのその本当に利口もんか、馬鹿なら良かばってから、あんたがつは半馬鹿じゃけんで、どんこんされんち言うて言われた。ま、それが腹ん立ったけれどです。もう考えてみりゃ考えてみるほど、私は半馬鹿と言うことが分かった。親先生が馬鹿になれ阿呆になれと仰るけれども、馬鹿に阿呆になりきってなかった。私はそれ聞きながら思うた。お互いがですね。いわゆるその馬鹿と阿呆で道を開けと仰るけれども、ね。
 私が一人馬鹿になっときゃ良かけんでと、ぐうぐ言うてこらえとるなら、半馬鹿ですばい。ね。だからお互いが本当に、半馬鹿じゃ、やっぱいかんと言う事ですよ。ね。本当にいわゆる馬鹿と阿呆になるということは、ならどういうことかと言うと、もうそれこそもう底の抜けたような、素直さを頂くことだと私は思うのです。ね。その素直になるところにです。もう先生が言われる、この方の道は、喜びで開けた道じゃから、喜びでは苦労はさせんと、ね。
 本当に難儀な事だと思いよったけれども、先生がそら、おかげばのと仰った。それがやっぱり、おかげと思われるですね、素直さと言うものを、先ず身に付けていかなければならない。そして今日私が申しました様な所を、身に付けて参りますならばです、ね。いよいよ財産も出来るでしょうし、いわゆる、裏づけのある財産も出来るでしょう。ね。でなかったら、私は本当のおかげじゃないと思うですね。
   どうぞ。